MAAMItan’s blog

2022年9月以降8月に永眠した妻の遺稿をアップロードし、その後は妻がこの世に生きた証を残したい思いで引き継いでいます。

妻との交際

妻との交際の頃の話に戻ります。

プロポーズしたのは僕のほうからだと思いますが、具体的にどこでどういうことを言ったのか、全く覚えていないんです。「結婚しよか?」とかそんな感じのことを言ったとは思うのですが。妻も「そうやね」とか他愛のない返事したように思います。それで2007年4月29日(写真のファイルを見ると撮影時間まで分ります)に僕の両親に引き合わせに京都に行きました。親の家に行く前に近くにある渉成園に行って写真を撮りました。

妻は手に渉成園のパンフレットを持っているのですがこのパンフレットが今も書棚にしまってあります。思い出をを大切にする彼女らしいです。うちの親は気さくな性格なので話もふつうに弾んだかと思います。4年前に次男が結婚していましたが男ばかり3人兄弟で家に女性がいなかった母親にとっては娘が増えるようなものなので結婚すると決まってうれしかったのではないかと思います。結婚式の時に僕たち二人が式場に入場したときに今は亡き母親が「おめでとう」と声をかけてくれたのを今も覚えています。この数日後に妻の家に行き両親に会い、結婚したいことを伝えました。

 

この後5月のゴールデンウイークに初めての泊りがけの旅行に出かけました。行先は和歌山。潮岬灯台、太地クジラ博物館、熊野那智大社などに行きました。

その後写真に残ってるのは7月15日の祇園祭の宵々山。このとき室町通りにある呉服屋さん(問屋だったと思います)にどういうきっかけで入ったか覚えていませんがそこでは中古品の色打掛を売っていて、それもレンタルするよりも安い値段だと分かりました。そのときに試着した写真が残っていますが八着試着して妻は気に入ったのがあったみたいで買うことにしました。たしか値段は5万円切るくらいだったのではないでしょうか。家には今もその時の色打掛が残してあります。次の日に早速ホテルの貸衣装店に行って他の衣装合わせをしました。

8月のお盆休みには天橋立、伊根の舟屋へ行きました。この後は11月3日の結婚式に向けて忙しい日々を過ごしていたかと思います。