MAAMItan’s blog

2022年9月以降8月に永眠した妻の遺稿をアップロードし、その後は妻がこの世に生きた証を残したい思いで引き継いでいます。

妻と過ごした土曜日の行動パターン

結婚生活の間、土曜日はほとんど妻と一緒に過ごしていました。

2013年から4年間くらい毎週土曜日は妻は新大阪までYOSAというサウナのような蒸し風呂の温浴に通っていました。11時ごろに家を出て僕が車で送っていました。

12時から着替え時間も含め1時間くらいかけて体を温めていました。体を温めると痛みがとれていたのです。YOSAが終った後は昼食を食べていましたが車で移動していましたので新大阪、東三国、西天満、東天満、天神橋筋商店街大阪天満宮周辺などにある和洋中エスニック、いろんなお店に行きました。そのとき開拓したお店には後々も妻と食事に行ったこともあります。

妻にとっては食べることが唯一の楽しみと言ってよかったのですが僕も新しい店を開拓するのが楽しくてネットで探していました。

食事が済んだら森ノ宮のキューズモールで買い物をして家に帰りました。

月の最終土曜日は食事の後、妻は門真の画家の先生のアトリエに行って絵を描いていました。晩御飯は買ってきてアトリエの中で食べていました。そして夜9時前頃に僕がアトリエまで妻を迎えに行ってましたがいつも3人で1時間ちょっといろんな話をして過ごしていました。僕が妻に先生を紹介されたのが結婚前の2006年ですがその後15年間妻と一緒に先生にお会いして雑談をしていました。10時過ぎぐらいにアトリエを出て、11時ぐらいに家に着く、妻が元気だった2016年ぐらいまではこういう過ごし方ができました。

2017年ぐらいからは病気が進みYOSAに行くことはなくなり、先生のアトリエに行くのも午後2時ぐらいに家を出て6時半ぐらいにアトリエを出る、そんなパターンになりました。その頃は妻も手が思うように動かせなくなってきて2020年頃からは絵が描けなくなりもっぱら先生と話をするためにアトリエに通っていました。

絵が描けなくなったのは妻にとってこれ以上ない辛いことだったと思いますが30歳ごろに先生と出会って二十余年、絵の描き方だけでなくいろんなことを先生から学ぶことができたようです。僕も先生から学んだことが多々あります。

写真の絵は妻が最後に描いた絵です。モデルは本人と弟の子供の頃です。この絵は最後まで自分の手で完成させることはできませんでした。背景と全体の仕上げは先生に描いていただきました。それで作者の銘が入っていません。

妻と弟

 

妻が見ていたテレビ番組9

土曜日に妻が見ていた番組です。

 

8:00~ 6チャンネル 朝だ!生です旅サラダ

土曜日はほぼ一日中妻と行動を共にしていました。

足にできた皮膚潰瘍の傷の手当てをしないといけなかったからです。

月から金は訪問看護の看護師さんに来てもらって傷の手当てをしてもらっていました。

妻は「土日祝日も頼んだら(訪問看護師さんに)来てもらえるで」と言ってましたが、僕にも意地みたいなものがあり自分で手当てをしてあげたいという気持ちがありました。

だから敢えて頼みはしませんでした。自分の目でみて傷の状態を知っておきたいとも思っていました。

朝8時半ごろに妻は起きてきて(僕もほぼ同じ時間起きてました)テレビをつけてこの番組を見ながら朝食を食べるのが常でした。

 

9:25~ 10チャンネル あさパラ!

9:30~ 6チャンネル 教えて!ニュースライブ正義のミカタ

このふたつは内容によってチャンネルを変えて見ていました。

 

10:30頃から入浴 OR  シャワー

脚に筋力があり浴槽から出入りできた頃は湯船に浸かっていましたが筋力が衰えてからはシャワーを浴びるだけにしていました。昔、元気な頃は長風呂で日帰り温泉に行ったときは30分ちかく僕は外で待っていたぐらい妻はお風呂好きでしたから入浴できなかっらのは楽しみのひとつがなくなりましたからかわいそうだったと思います。

 

11:00~ 6チャンネル LIFE~夢のカタチ

11:30~ 6チャンネル 本日はダイアンなり

この間に足の手当てをしていました。

妻はこの潰瘍傷に5年以上悩まされていました。5年間の間に塗り薬を何回替えたことか、傷を保護する保護材料もいろんなものを試しましたが最後まで治ることはありませんでした。強皮症で血行が悪くなっていたので傷が治らなかったのだと思います。

 

12:00~ BSTBS 関口宏のもう一度近現代史 後に 一番新しい古代史

この番組は好きで欠かさず見入っていました。妻は僕の影響で歴史に興味を持ったのですがこの二つの番組で日本の歴史を一通り勉強していました。夫唱婦随であり婦唱夫随だったのがうちの夫婦でした。

お互いが興味を持っていたものに相手が興味を持つ、それで共通のことを楽しむことができました。価値観が合ったということだと思います。

妻と結婚して一番良かったと思うのが価値観が一致したことです。

長男と長女だからかもしれません。

 

 

メルカリで「良かった」の数が100件になりました。

メルカリを始めたのは約5年半ほど前ですが「良かった」の数が100になりました。

内訳は購入で付いたのが20件で売却で付いたのが80件です。

妻がいたときのことですが使わなくなった健康、リラクゼーショングッズを妻に「メルカリで売ってほしい」と頼まれて十数点を売ったときには20万円程回収できまして、そのときには妻はたいそう喜んでいました。(買値はその10倍近くするのですが)

 

妻が他界した後、妻の物、僕の物問わず新品で買ったけどこの先も使うことがないだろうと思われる物、親の実家仕舞いや親の引っ越し時に僕の実家から持って帰ってきた物、思い入れのない物、最近使っていない物で売れそうな物はリサイクルショップやヤフオク、メルカリで売りまくりました。

その総数は100点を超えたと思います。

でもここ最近は売れるペースが落ちてきました。

ある程度簡単に売れる物は売り尽くしてしまったのかもしれません。

僕はもう一人ぼっちになってしまいましたのでこの先も断捨離を進めていかなくてはなりません。 

少しでも持ち物を減らしたいと思っています。

 

でもまだ妻の持ち物で最近まで使っていた物は処分する気にはなれません。

処分してしまうと妻のいた形跡が無くなってしまうような気がします。

未使用品だと妻も使っていませんから簡単に手放せますが。

夜中、二階のベッドで寝ていたときに緑色の胆汁を嘔吐して、そのとき口を拭いたティッシュも寝室の小さなゴミ箱に入れたままです。

ただのゴミですが妻の体から出てきたものがこの世に残っていると思うと捨てる気になれないのです。

年度末

僕は今、派遣社員として働いています。

妻の世話に全力を使うつもりで一昨年7月に当時派遣で働いていた職場に8月いっぱいで退職すること伝えましたが8月24日に妻は永眠しました。

 

9月は諸手続きに追われ、それが一段落した10月、心にぽっかり穴が空き、言いしれない寂しさに襲われこのまま家に籠もっているとどん底に落ち込んでしまうと思いました。

 

この絶望的な気持ちから抜け出すには外へ出て働くしかないと思い、インディードで仕事を探し今の仕事を見つけて派遣会社に登録し11月より働き始めました。

それから1年5ヶ月目になります。

 

仕事は公共関連で4月に始まり3月に終わる仕事です。

この仕事には忙しい時期に波がありまして年に3度忙しい時期があり、その中で最も忙しいのが年度末の今です。

そんな訳で最近は休みが待ち遠しく金曜日のこの時間は言いしれない開放感に浸れます。

派遣契約は4月から半年更新で9月までは契約済です。

 

元は悲しみをカモフラージュし、寂しさから逃れる為に始めた仕事ですが精神的ストレスは無いし時給も前の仕事より500円高くなったので簡単に辞めてしまうのがもったいなく思えてきてあと3年働く気でいます。

去年長かった住宅ローンが終わったので懐具合が20代以来の暖かさになったから妻と美味しい物食べに行ってたりお金は妻と楽しむ為に使いたかったのにもう妻はいない、ひとりでいたら使い道もありません。

 

妻は僕と結婚することを決めた時、友達に「一緒に老後を過ごす相手ができました」とメールをしていました。

ほんとだったら今、正に明るい老後への入口に差し掛かる時だったのに。

なんかなぁ、なんで病気になったんやろな、そんなこと、思ってしまいます。

 

妻が見ていたテレビ番組8

金曜日に妻が見ていたテレビ番組について振り返ります。

 

19:00~ 6チャンネル ザワつく!金曜日

石原良純長嶋一茂高嶋ちさ子が出てるトーク番組。特に熱心に見てるわけではなく、他に見るものがないから見ていたみたいな感じです。

 

20:00~ 7チャンネル 所さんのそこんトコロ 

これも他に見たいものがないから見てるような感じでした。

 

21:58~ 8チャンネル 人志松本の酒のツマミになる話

金曜日の他の番組は見ることがなく僕が録画した番組をみることが多かったのですがこの番組は好きだったのか、欠かさず見ていました。今となっては幻の番組となってしまいました。妻がいてもテレビに出られないのは当然だと思っていたでしょう。今4チャンネルで不謹慎にもほどがあるというドラマをやっていて僕も見ているのですが思えば昭和の時代は緩かったと思います。かといってあまりに神経質になるのもいかがなものかと思いますが。

23:17~ 6チャンネル 探偵!ナイトスクープ

これは昔はよく見ていましたが近年は11時半ごろから寝る準備に入っていたので見たり見なかったりでした。これも松本人志が出なくなった番組ですがちょっと見る気がなくなりました。

 

 

車の買い替え

今日、車を買い替えました。前に乗っていたのがホンダのフィットの白、今度がホンダのシャトルの白です。

家の中から写真を撮りました。

                   フィット

シャトル

家の中から見ると何が変わったのか分からないほどですがフィットは5ドアハッチバックシャトルは5ドアステーションワゴンです。

フィットを買ったのが2021年5月。この頃は既に退職していて月2回水曜日に妻が大阪赤十字病院に行くのに朝9時過ぎ頃に家を出て、帰りは妻から電話で病院に迎えに来てほしい時間(だいたい午後4時ごろ)に病院から帰るのに妻を乗せていました。

その後7月からは働き始めたので月二回のうち一回は半休を取って送るのはフィットで、帰りはタクシー、もう一回は終日休んで往復をフィットを使って送迎していました。

あと入院するときにもリアシート一杯に荷物とリア荷物置き場に折り畳みのマイ車イスを乗せて何度も行きましたね。通算ではフィットで入院だけで8往復ほどしました。

体調が悪くなって夜中に緑色の胆汁まで吐いて朝病院に行ったこともありました。

車の中で吐かれないようにビニール袋を口にあてて。

そんなことが3回ぐらいありました。

2022年の8月23日、病院から最後の看取りの連絡を受け大急ぎで飛ばして行ったのもフィットでした。

そんな妻との思い出があるフィットを手放すのは忍び難い思いがありました。

でも前を向いて新しい趣味を始めたいと思っているので買い替えることににしました。

買い替える対象になる車の条件は

①荷物が多く載せられて、②立体駐車場にも入れることが多いので高さ1.55m以下の車高で、③家の駐車場は縦列じゃないと入れられないのであまり車長の長い車は植木のレンガ柵に当たりそうになるので出し入れが非常に苦労するのであまり長い車はNG、④荷室がフルフラットになるという内容です。

この条件に当てはまるのは現行車ではありません。

2022年に生産中止になったホンダのシャトルだけがこの4条件を満たしていました。

それで中古車で一番上のグレードで改良された後期型をネットで見つけて買うことにしました。

シャトルは元々フィットの派生車なのでインパネ周りはフィットとほとんど同じです。

エンジンも同じハイブリッド、乗り味は違いがありシャトルのほうが柔らかで重厚感があります。

形、色、内装、すべて妻との思い出のあるフィットととても似通ったシャトルに乗っているとこれはフィットではないけれど妻との車での思い出を継続させることができたような気になれています。

偶然にしては出来すぎた出来事

これから書くのは先月の28日にあった出来事です。

妻がいたときに妻の持ち物で「もう使わんから売って」と言われた健康、リラクゼーション用具を十数点メルカリで売りました。

元々が万円単位の物なので売って20万円近くになりました。

妻がいなくなった後、持っていたいと思わない物、未使用品でこの先も使わないだろうと思う物は僕の物、妻の物問わずヤフオク、メルカリ、リサイクルショップでどんどん売っていきました。

元々が家持ち同士で結婚したので基本的に持ち物が多いのです。

それに加えて18年前の両親の引っ越しと6年前の父の実家仕舞いのときに換金できそうな物を持ち帰りましたから尚更多くなりました。

この1年5ヶ月間で100点近くは売りました。

そういう状況の中、ずっと売れなかった特殊な医療用品が一昨日売れました。

妻の足には強皮症に因る皮膚潰瘍傷が5年以上の間できていて治療にはいろいろ薬を変えましたが最後まで治ることはありませんでした。

その潰瘍傷を保護する為に手術用の特殊な柔らかいラミネート状の非常に高価な品です。

先ほどそれを近所のヤマト運輸の集配センターに持っていったときのことです。

先客の女性がいてその人にセンターの人が送り先の確認かなんかしていたのでしょう。

その女性はなんと◯◯◯まゆみ、僕の妻の名前を言ったのです。

「ええ!」驚きました。

妻が最後まで使っていた品を送りに来たら前の人が同姓同名の人に物を送ろうとしている。

偶然にしては出来すぎてる話です。

あの世でもまだ妻は医療用品がいるのでしょうか?

妻は結婚して姓が変わって、新しい名前の同姓同名の人が歌手と画家にいるのがネット検索して判り「芸術家に多い名前やからな」と言ってたことがありました。

ちょっと嬉しそうだった妻の表情が思い浮かびました。