MAAMItan’s blog

2022年9月以降8月に永眠した妻の遺稿をアップロードし、その後は妻がこの世に生きた証を残したい思いで引き継いでいます。

あの世は

2022/5/4記

 

T川君は、弟の大学時代の同期で今は会社員の普通のおじさんになっていて、会うのも久しぶりだろうし、同じ大阪府内には住んでいるけど幼馴染でないので、私たちの育った場所や子供の頃を知る由もない。母が家の中で口ずさむ歌も知る由もないし、私たちだけが知っている思い出の光景を話したのは驚きで、母が自分と分かるように私たちに伝えているとしか思えなかった。

 

 母は、ガンと判かった時が末期のすい臓がんで、抗がん剤治療をやってはみたものの合わないのか、どんどん食事もできなくなり、弱って痛みも強くなり、痛くて苦しいのを我慢している母のそばにいてあげることしかできず余命5カ月の診断通り、5ケ月後に見送ったので、私たちも苦しんでいたのを引きずり、苦しく、とても寂しい状況でした。実際のところそんなに早く会えなくなるとも思いませんでした。その私たちを心配して「今、痛くもないし、苦しくもない。」「また、私たちと会える。」と言うことを知らせてきたんだと思います。母らしいと思いました。日頃から母は、わかっていることがあると放っておけない性分なのか、わざわざその人に知らせてあげる人でした。母だと思いました。

 

 お墓の話ですが、その余命5ヵ月を宣告されてからの母の話(遺言)では、永代供養があるお寺など簡易なお墓に入れてしまって、父とお墓に入ることを望んでいませんでした。しかし私は、死んでも母の傍に行きたいので、居場所の分かるお墓に居てほしいと、実家の近くに土地を譲ってくれる集落の人たちが利用している住民の場合はすぐに購入できる墓地にお墓を立てて、母の実家のお墓(母と母の妹で後継ぎがなく終わってしまうお墓)を引き取って一緒にお祀りするのが望みでした。(檀家になっているお寺のお坊さんは、「できますよ。」といってもらっていたので望みでした。)

 

でも弟たちは、「そういうことを母は言ってなかった。」と、私に言っていて、長男は悩んでいたのですが、仏前で明日の法事の用意している私に、次男が「オカン、そんなこと言ってなかった!!」と言ってきて、二人で口喧嘩のようになっていたので二人には、「喧嘩」については思い当たることでした。その時、姿は見えない母が私たちの横で、慌てたんだと思います。T川君からの話を聞いて、「ケンカを止めにも来た‼」とも、私は思いました。

 

 そのカラオケ屋さんは、「歌の上手な人たちが次々と歌を歌うのでそれを聞けて、そして、そこに集まる人たちの冗談がいつも楽しい。」とよく母が楽しそうに話してくれていたお店で、店名「○○〇」は、聞いていていたけどそれがどこにあるのか、私たちは知りませんでした。

長男が早速、母の一番仲の良かった友人に連絡して「カラオケ喫茶「○○〇」」を教えてもらおうとしたところ、「一緒に行ってあげる」ということになり、翌週の日曜日に母の友人、妹、長男、私の4人でカラオケ喫茶「○○〇」へ行ったのでした。(次男は行かなかったのですが、次男はカラオケ歌うタイプじゃないから、母もわかってくれるだろうとのことでした。。笑)

 

カラオケ喫茶○○○に着き、母が使っていたチケットが残っていて、それと一緒にいつも歌っていた歌が小さなリクエストカードで残されていたので、私たち4人がその中の歌える曲をそれぞれ選んでリクエストに入れ、順番が来たらステージで歌うのでした。私たちの前にも数名の方がすでに来て歌っていて、私たちの後にも数名来られていて順番が来たら歌うのですが、小さな写真立てに入れた母の写真と母がそこでよく頼んだ飲み物を置いた席を用意していると、その写真へ「さよなら」を言いに来てくれるおばさまたちがいました。母は、きっと会いたかったんだろうと思いました。

ここで不思議なことが二つほどありました。一つは、弟(長男)が首を押さえていて、「どうしたん?」と聞いたら、「頭が重くて首もしんどいねん。。」と一時間半ほどいたカラオケ屋さんでずっと首を押さえていたのと帰るまでにトイレに4回程通っていました。

(T川君が首と頭が重く体がとてもしんどいといっていた感じに似ていたので、写真に乗って来たのではなく弟に?)

二つ目は、私の歌う番になり、ステージで曲が始まろうとした時のことでした。

キーンと耳を押さえたくなるくらいのハウリングが起こったと、思った次の瞬間に、

「△△△」と私の名前を呼ぶ声がしたので、振り返ったのですが、誰も居ず、母の声に似ている母の妹の方も見たのですが、キョトンとこちらを見て座っているだけだったので、歌い終わって席に戻り、母の妹に「私の名前、呼んだよね?」とたずねてみたのですが「いや、呼んでないよ。」とのことだったのです。

 そんなことあるかなぁ??と何回も自問自答してみたのですが、確かに私は振り返ったので、「呼ばれたよ‼」と思い返しました。姿は見えないけど母が私を呼んだと思いました。音の反響する、カラオケ屋さんだからできたのかも知れません。不思議な体験でした。

 

四月が終わり、連休が始まった五月の初め、私の嫁いでいるS家のお墓にお参りに行きたい(三月にあったS家の法事が母の葬儀や法要で私が行けずに過ごした)と主人と予定をしていた日の前日の夜8時頃、実家へたまたま行くとなぜか母の妹も来ていて、仏壇の前で弟二人と四人集まったので自然とお墓の話になってきました。(たまたまでも夜に実家に行くことは、無かったので、みんな集合するのが凄く不思議でした。)

 

そこで私は

・お墓は、近くの墓地の土地が手に入りやすい。

・私たちの近くに母の居場所があってほしい。

・墓地が手に入ると母の実家のお墓を持ってこれるので、母の実家へ行って引き取りに行こう。

と説明した。

「そして、お盆あたりにみんなで、鹿児島に帰ったらきっと親戚の人たちも来てくれるだろうから、その日にちあたりで、法要をしよう。オカンの帰りたかった故郷に帰れるよ。

みんなと一緒に鹿児島に帰ろう。帰れるよ。」と姿の見えない母親にも話しかけました。

 

なぜ帰りたかったのかを知っているかというと、余命5カ月を宣告されて、弟(長男)が母に「行きたいところ、海外でもどこでも連れていってあげるよ。」言ったところ、母が言ったのが「鹿児島(故郷)に帰りたい。」とのことだった。それから容体が悪くなる一途で結局、帰れなかったためだった。

 

 みんな納得してくれたようで、異論は出なかった。(やれやれ・・・ホッとしました。)

 

その時、弟(長男)が「そこで、お墓やねんけど、探してん。」とインターネットで見つけた墓石屋さんを印刷してもってきて私に見せた。

「一回は、このお店に行かなあかんと思うねん。そのあとは、来てくれると思う。」と

小さな地図を指さしたのですが、その場所は、私と主人がお墓に参ろうとしているS家のある町の入り口あたりで、いつも通る道だった。明日行って帰る通り道にあった。

 

私、「・・明日通るから行ってくるわ。」

弟(長男)「うん、頼む。」

 あまりにタイミングが合いすぎてびっくりしたので、慌てて帰って、主人に説明をし、

明日、お店に寄ってくれることを頼んだところビックリしたようで、「うん、行く。」と頭を振っていた。まるで、私たちが明日S家に行くことを知っているかの様なタイミングで、「母が、何か仕向けているのか」とも思った。 そして、お店に行きました

 

翌週5月9日に四十九日があり、その前日夕方に明日の法要の為の仏前の花などの用意をしていると、弟(長男)が帰ってきて、私に「T 川君からまた連絡あった。。」といったので、私は、「なんて言ってた?。」と聞くと、

弟(長男)「オカン、明日、上に行くって言うてる。って。」

私、「ここに居れるって言ってたやん。なんで?」、涙が溢れました。

弟、「T川君が云うには、この世に残っている霊は、あまりいい霊が残っていないんやって。そして、亡くなった人も上(あの世)へ昇って上の世界に行って、やらないといけない事(修行なのか仕事などか)があるらしく、「上に行った方が良い。」って云っていて、今これからの時間は夜で、暗くて危ないから、明日の明るくなってから行った方がいいと勧めてるみたい。」

私「・・・。」(危ないっッて、なんやろう?)

弟、「オカン、明日お迎えが来ることになっていて、その用意をしてるんやって。」

私、「・・・。」(なんやろう、用意ッて。? 忘れ物ないか、とか確かめてるんかな?)

弟、「あともう一つ伝えてほしいことがあるって言ってるとがあるねん。」

私、「何?」

弟、「鹿児島、楽しみにしてるから。って」

私、「・・?なんでうちの法要の予定知ってるの?。T川君に言うてる?」

弟、「言うてない。言うてない。」

 

 その頃、私は知らなかったのですが、一般的に仏教の世界で、死後、四十九日までがこの世に留まれるそうで、四十九日には、天上の世界?に行くとのことです。T川君はうちの予定を知らずに母からの伝言をしてきたと思いました。鹿児島もお盆に行く話ですよね。「なんで、知ってるの」って話ですね。日にちや話にずれが無く、百発百中に話が合っていると弟(長男)も言っていました。(続く)