MAAMItan’s blog

2022年9月以降8月に永眠した妻の遺稿をアップロードし、その後は妻がこの世に生きた証を残したい思いで引き継いでいます。

あの世は

2022/5/4記

 

母との別れは、寂しくてとても切ないものでしたが、T川君が伝えてきてくれたことで、話が変わってきました。

その後、よくある話なのかと知り合いの60才代から80才代の人達を含めて、「母から連絡が来て。」と内容を説明すると、みんな一様に「そんな話は、聞いたことがない。」と首を横に振られました。

 

うちだけにある話なのでしょうか? 

少し似た話に、映画「ゴーストニューヨークの幻」があったと思いますが、あれはフィクションでしょうか?

 

この話をした知り合いに、「私も亡くなった人で話をしたい人がいる。」と言われたのですが、皆さんそうですよね。誰かしら、話したい人がいる。

 

私たちは、すごくラッキーで、死後に母と意思の疎通ができたのですが、亡くなった人と話をできずに見送るだけになっている人がこの世の中にはたくさんいると思います。

その方々に、私の体験から伝えることがあればと色々考えてみました。

 

弟はT川君から、「今までで、君の母のように思いを伝えられる人を知らないし、凄く稀なことで、すごいことやよ!」と言ったそうです。

私たちは、T川君の能力が凄いと思っていたのですが、T川君からすると、霊?として近づいて来ても、伝えたいことを伝えられない人(霊)が多いそうで、わかりにくいなりに相手の言いたいことを読み取ろうとするとT川君の首や頭などが重く、体がしんどくてたいへんになり、それ以上の読取ることが無理になるそうです。

母については、母の伝えたいことの「70%ほどが分るけど、あと30%は、わからない。」とのことだったそうで、「70%伝えられる人は、いないよ。凄いことやよ!」との話だったそうです。

伝えたいことは、声が聞こえるのではなく、霊がT川君の体に来る(体を使う)ことで、頭に浮かんでくるそうです。

 

どうして母にはそんな力があるのかを考えてみたのですが、あるテレビを見ていた時、その番組に出ていた霊能力を持っていると云われるある芸能人(年配の方)が

「この世で一番偉い人は、名誉やお金のたくさんある人じゃなくて、心のきれいな人が偉いんですよ。」と言っていたことを思いだして、

「そういえば、母は心がきれいだった。」と思い出しました。心がきれいで、きっとT川君の心に届くように響いたことで70%も伝えたい内容が伝わったのかもしれないと思いました。

 

母は、頑固なところはあったけれど心は純粋で、うれしいことや楽しいことがあると子供のように無邪気に喜んで、私たちによく話しをしてくれました。真面目で嘘をつけなく、ズルくないのでこの世での世渡りは、うまい方ではなかったかも知れませんが、悪い方へつかうことのない心があの世で力になり、私たちに伝えれたのかと思いました。

 

 またある日、これもまたテレビを見ていると「三途の川の渡り方」を番組でやっていたのですが、「三途の川とは、三通りの渡り方があるという意味で、一番いい渡り方は、お迎えが来るというのが、一番いい渡り方です。」とのことで、

「そんなことがあるんだぁ。」と私は、一人で驚いていました。

後残りの二つの渡り方について、触れてはいなかったです。

 

最後のT川君から来た母から連絡内容が、「明日、上に行くので、お迎えが来ることになっているので、準備をして待っている。」とのことで、

 

その時は、「どんな準備をしていて、どういったお迎えなのかな。」

「忘れ物がないのか確かめているのかな。お迎えは、船でくるのかな。」

とか頭の中をめぐっていましたが、よく仏教の絵で観音様がお迎えに現れる図があるので、「そのお迎えなのかなぁ」と思ってみたりしました。

 

以前、私の知り合いの女性(年齢70才頃)の方に

「母は、お迎えが来る。と言ってたんですよ。」と言った時、

 

「お迎えってすごいよ。私は、三途の川を渡るときには、とてもじゃないけど、大変な思いをしながら渡るものと聞いているよ。」と言われてしまいました。その方の周りの方々の話では、たいへんな思いをして渡るのが当たり前なようでした

 

母は、「いい三途の川の渡り方をしているんだぁ。」と、そこでも思いました。

とても安堵しました

 

これで、この世にの生まれて過ごした私の使命のうちの一つで、両親に親孝行やちゃんと見送るということが無事に済んだような気もしました。

 

母は、21歳で結婚して22歳で長女の私を生み、知る人のいない地で子育てしたので子育ても大変だったと思います。愛情深く、子供たちと一緒にいれるのが嬉しそうでした。

大したことでないのに、子供たちができることがあると他の人に自慢する親バカで、どういうことがあったとしても、私たちにとって世界一のみかたでいてくれる母でした。  

 

若い頃は勉強をする時間もなかったので「字がきれいになりたい」や、「演歌や歌謡曲は好きだけど音痴だ。」と言って、習字とカラオケのお金のかからない教室に家事や仕事の合間をぬっては、通い続けていたのでそれなりに上達しているのを子供が褒められた時のように喜んでいました。どういう状況でも前向きに明るく過ごした人でした。

 

私も母を見習って、命ある限りは、どんな状況でも前向きに自分にできることに一生懸命に取り組んで、命をまっとうしたいと思います。そうすれば母のような死後が過ごせるのではないか・・と考えています。(完)