MAAMItan’s blog

2022年9月以降8月に永眠した妻の遺稿をアップロードし、その後は妻がこの世に生きた証を残したい思いで引き継いでいます。

妻の見ていたテレビ番組7

木曜日に妻が見ていた番組です。

19:00 7チャンネル タクシー運転手さん一番うまい店につれてって

この番組は駅前のタクシー乗り場で客待ちしているタクシーに乗って運転手さんにお勧めの飲食店に連れていってもらうという番組です。テレビ東京の番組なので大阪、京都が紹介されることは少なかったが他に見るものがなかったから見ていたのでしょう。妻はグルメ番組、旅番組は好きでしたから。自分がやりたくてもできなかったことをテレビで見て自分がやったつもりになる、そういう気持ちだったのでしょう。

 

21:00 10チャンネル 秘密のケンミンSHOW

この番組では大阪ネタ、京都ネタが出たときはお互いに言い合って楽しんでました。

お互い、毒舌で。なんでも包み隠さず思ったことを言い合える、妻はそんな楽しいパートナーでした。今はこの番組を見るときには三人掛けのソファーの隣に座っている見えない妻に話かけています、かつて妻にしていたように。

 

22:00 10チャンネル ダウンタウンDX

妻はダウンタウンの番組はこれと前に8チャンネルでやっていたダウンタウンなう「本音ではしご酒」と人志松本のすべらない話も好きでよく見ていました。妻は松本と浜田がする他の出演者とのボケとツッコミの掛け合いが面白いから見ていたと思いますが

妻が笑うときは「ハハハハハ おかしい」と言うのが常でした。

今、いろいろと騒動になっていますが昔からトーク番組ではそれらしい話はしていたので今更驚くことではなくやっぱりそうだったと実証されたんだなという感想です。人に嫌な思いをさせたというのは過去のことであろうと謝罪反省すべきだと思います。

もし、妻がいてこの騒動を知ったら僕と同じ感想を持つだろうと思います。

 

阪神淡路大震災の記憶

今日で阪神淡路大震災から29年経ちました。早いもんです。

今年は元旦いきなり大地震が起こり最近はほとんど思い出すことがなかったあの大災害に対する記憶が蘇りました。

今迄、震災のことを文章にしたことがなかったので備忘録としてこのブログに書いておこうと思います。

今関西在住の33歳位以下の人が関西の人口の1/3位を占めると思いますがその人々は大震災を体験していないか記憶はないということになります。

大震災の話は実際に体験していない世代にとっては共感しにくいだろうと思います。

それは僕が子供の頃、戦争を知らない子供たちという歌が流行っていた時代、戦争を体験した大人たちが団塊の世代以下の戦争を体験していない世代に対して戦時中の話が通じないことから世代の違いを感じたように、さしずめ今なら生後ずっと関西で生活してきた阪神淡路大震災を知らない若年層に対して震災体験者が世代の違いを感じるようなものと同じ感覚でしょうか。

 

当時はマンションの3階で暮らしていましたが突然の大きな揺れに目を覚ましました。

目が覚める程の揺れ。

「何だ!」と思いました。

これはただ事ではないと。

直ぐにテレビを付けて神戸の方が震源だと知ったかと思います。

多くの電車が止まり通勤ができなくなっていましたが僕の利用していた私鉄は奇跡的に動いていて会社に行くことができました。

会社に着いて中に入ると壁に大きなひびが入っていて、自分の事務机の引き出しが全開になっていました。

凄い横揺れでした。

電話は通じないのでまともに仕事はできず、辛うじて会社の前の歩道にあった公衆電話は通じました。

その後、暫くして会社の商品を保管していたポートアイランドの倉庫が火災に見舞われているのをテレビで見ました。

当然商品は全焼しました。

地震の何日後だったでしょうか、当時僕は商品管理を担当していましたのでポートアイランドの火災現場の写真を撮りに港区の天保山から高速船に乗りポートアイランドへ行きました。

ポートアイランドは岸壁が崩れ、道路も凸凹になり地割れしている所もありました。

倉庫の管理棟は地盤沈下して取り付けれていた一階の鉄製階段が地表から浮いたようになっていました。

その後僕は火災による損害補償交渉を保険会社と行い、火災による損害は幸いにも保険でカバーできました。

あの震災では社内でも家族を失った人が2人いました。当時も突然命を失うことに対する理不尽さにやりきれない思いをしました。

でも今から思うと僕も当時はアラサーで周りの親族も祖父母以外は亡くなっておらず、身内を亡くすことの辛さ、悲しさを本当に理解できてなかったと思います。

悲しいかな、人生経験が未熟であったこともあり死別の辛さ悲しみといった遺族の心情を推し量ることができませんでした。

 

この先もいつ何時大地震があるか判りませんから自分でできる備えは怠ってはいけないと思います。

 

 

 

 

 

不思議な思い

僕は朝起きてまず最初に仏壇のお水を替えてお線香に火をつけておりんを鳴らして妻の写真に向かって「真由美、お早う」と声をかけることから始まります。その後、自分の朝食と同じものをお供えします。

それがルーティーンですが今でも「なんで妻がいなくなってしまったんだろう?亡くなる必要があったのか?」と思うことがあります。

この世から消えてしまうってどんな気持ちなんだろうか?、実際には薬で眠らされているような状態になって意識があったのかどうか判りませんが。

この不思議などうして?という思いは結婚して2年目ぐらいまでにもしたことがあります。結婚でよくあるのは学生時代や職場で知り合って結婚したというケースですがそういう場合だと身近な範囲での出会いから始まっていて付き合いが始まる前にお互いに相手のことを知るのに時間があるように思うのですが僕らの場合はネットが知るきっかけになりプロフィールを読んでメールのやり取りをしてという段階を踏まえて初めて相手に会うことになります。学校や職場で出会うのも偶然かもしれませんがネットはもっと偶然です。そんな理由で「なんで結婚してここにいるんだろう?」と思うことがありました。勿論、結婚したいから妻と一緒になったのではなく妻のことが好きになり一緒に生きていきたいと思ったからこそ結婚したのですが。

住んだ家が自分が買った家ではなく妻が買った家に住みましたから自分が居候みたいな感覚があって余計にそう思ったのかもしれません。最初のうちは家でどこに何があるのかわからなかったり家具なども最初のうちは妻が使っていたものをそのまま使い続けていたりしましたから。

今の「なんで妻がいないのだろう」と思う気持ちも結婚当初に感じた不思議な思いと似通っています。この家も僕が買った家ではなく妻が買った家だし、ローン返済も妻が自分のお金でやっていたし。

2年前の昨日、1月7日金曜日は妻が入院した日です。彼女は学生時代から毎年手帳に出来事を書いていてそのほとんどが今でも残っていていつ何をしたかが判ります。

前日の夜11時過ぎに嘔吐し始め緑色の胆汁まで吐きだしたのでこれはいけないと思い翌朝大阪赤十字病院の外来に連れて行きました。検査の結果、腸閉塞を起こしていることが判り1月28日まで入院しました。2年前は8カ月のうち通算3カ月ほど3回に渡って腸閉塞を起こして入院しました。2年前から家でひとりで居る時間があったのです。だから今も同じように一人で暮らしていますからその当時のように入院してるように思いたいのですが毎朝おりんを鳴らす度にもう妻はいないという辛い現実に引き戻されます。

 

大晦日に想うこと

妻、真由美と会えなくなって1年4ヶ月が過ぎ、まもなく妻のいない二度目の正月を迎えます。去年の今頃に比べると悲嘆の深さは浅くなったと思いますがそれでも妻のいた頃の心の中が薄日のさした晴れだとすると今はまだ雲のままです。

低空飛行で飛び続けてとりあえず墜落することはない、浮上するきっかけ掴めていない、そんな感じです。前からそんなに笑ったりすることはありませんでしたが以前よりも笑うことは少なくなった気がします。

僕は妻は自分でもこんなに早く天国に行くとは思ってなかったと思います。8月22日月曜日朝に救急車で病院に行きましたがその前の晩の夜11時半頃に世話になっていたケアマネさんに「明日来といてもらえるとうれしいです😃🤚」というメールのタイトルを入力したのですから。本文まで入力できるほどの元気は残っていなかったのに。

なんかねえ、まだまだやりたかったこと、やり残した事があったんじゃないのかと思います。結局感染症による敗血症、多臓器不全になって24日朝4時半に天に召されてしまいました。

まもなく妻のいない2回目の正月を迎えますが去年もそうでしたが正月がおめでたいと思える気持ちにはなれなくなった自分がいます。ただ惰性で過ごしているだけです。

こんな自分でも最近思うことがあります。それは楽しみを先に持ち越さないということです。僕は今はどこにも体に悪い所はなく歩くのも早歩きを心がけており運動も普通にできますがそういう状態でなければできないことは早めにやっておこうと思っています。いつまで健康で自由が利く体でいられるのか、先のことはどうなるかわかりませんから。

美味しい物は取っておいて後に食べるのではなく先に食べてしまう、その為にはお金も使っていこうと思っています。今のままでは残していても意味がありませんので。

本当に妻のいない日々の生活は味気ないものです。

寒くなり思い出したこと

この前の日曜日から急に寒くなりました。                   

それまでは浴室暖房をいれてシャワーだけで済ませてました。       

ひとり暮しで毎日湯船にお湯を張るのがもったいないと思うのと今、琵琶湖が水不足状態なのであまり水道水を使わないようにした方が環境にも優しいと思ったからです。

 

でも最近の寒さにさすがに湯船が恋しくなり日曜日から湯船にお湯を張って入浴するようになりました。                

湯船に浸かっていると妻がいた時のことが思い出されました。                                                   うちはいつも一緒にお風呂に入っていました。

夕食後、九時半くらいから先に妻が入り妻が湯船で暖ったまった後、妻に呼ばれて僕が入って行きました。               

妻が頭と体を洗っている間は僕は湯船に浸かっていましたが浸かっている時間が長くなると暑くなってきて浴槽のへりに座っていました。                

そうしているとそんなに大きな風呂場でもないので浴槽の縁に座っていると妻のすぐ横にいる状態なのでシャンプーやソープの泡が飛んできたりしたものです。                 

そんな夫婦一緒のバスタイムもだんだんと妻の足の筋力が衰えてきて湯船から立ち上がることができなくなったので入浴は諦めシャワーだけを浴びるようになりました。                

それも夜に入るのではなく午前中に訪問看護師さんが来る前にひとりでシャワーを浴びるようになりました。              

そうなる前、いつも一緒にお風呂に入っていたからスキンシップができたのも夫婦仲良くやってこられたひとつの要素だったと思います。          

そういった何気ない生活のひとコマさえ幸せなことだったのだと侘しい日々を送る今の生活と比較するとつくずく感じます。

妻の見ていたテレビ番組6

水曜日に妻が見ていた番組です。

19:00~ 4チャンネル 水野真紀の魔法のレストラン

食べ物系の番組は好きでよく見ていました。あまり量が食べられなくなっても食べることに対しての興味はなくなりませんでした。それが唯一のたのしみだったのかもしれません。

19:00~ 7チャンネル それダメ!

これは他に見たいものがないときに見ていました。

21:00~ 7チャンネル 家、ついて行ってイイですか?

これは妻が好きな番組でした。帰宅するのに終電が終わったりして割と長距離タクシーを乗らなければならない人にタクシー代を払ってあげる対価として家に上げてもらいその人の人生、生活を紹介する番組です。

苦労している人も多く紹介されていてそれを見てよく妻はもらい泣きをしていました。話の最後の方になるとビートルズのレットイットビーが流れるのですが僕はそれを見て妻に「いつもレットイットビーやな」とか言っていました。

BSのイタリアの小さな村の物語もそうですが妻はこういう普通の人の暮らし、人生を紹介する番組が大好きでした。

妻と知り合うきっかけになった婚活サイトの自己紹介の文章で妻は「世界の中には大変な苦労をして生活している人がいることを知りました。」といったことを書いていました。妻がなくなった後、妻の持ち物を見ていたいたときにVHSビデオテープがあったので何を録画していたのだろうと思い再生してみましたがその自己紹介の文章を書いたきっかけになったと思われる番組が録画されていました。世界がもし100人の村だったらという本に関連した番組でした。それを見て妻が心優しい人だったと今更ながら思ったことをことを思い出しました。

22:00~ 8チャンネル 突然ですが占ってもいいですか?

妻は占いが好きでした。占いではありませんが風水も好きでした。鬼門も気にしていて

洗面所の位置が悪いからと言って2021年に洗面台を買い替えて設置する位置を変えました。僕が車を買い替えたり家のリフォームをするときにはいつも堺の方違神社に行ってお祓いを受けていました。妻はスピリチュアルなものに惹かれたり信心深いところがありました。

22:00~ 2チャンネル  歴史探偵

これは僕に付き合って見ていましたがよく歴史番組を見ていたので妻も興味を持ち出して自分から他にも歴史の番組を見るようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

妻の持ち物を使う

妻は背が高い方で166センチありました。僕は169センチなのであまり変りません。

結婚してから妻は「私は足が長いから」と自慢したことが何度かあってその度に僕は「何がや」と言って受け流しておりました。

妻は全身性強皮症になり、病が進行してからはボタンのある服は自分で着られなくなり、上からスポッと被る伸縮性のある服しか着られなくなりました。

病気のせいで関節の曲げ伸ばしがやりにくくなったのです。

それで家の中では1年じゅうトレーナーとフリースで過ごしていました。

関節の曲げ伸ばしがしにくくなっていたのでLLサイズを着ていました。(太っている訳ではなくスラッとした体型です。)

 

ここ最近寒くなりましたので妻のモコモコのフリースを着てみました。

僕は細身なので問題なく着られました。

自分のフリースと違って起毛してるから暖かいです。

妻の服を着ていると一体感が得られて気持ちが和みます。

ただ色が赤紫とかピンクなので外では着られません。

下は妻が若い頃スキーに行ってたときに履いてたジャージを履いてフリースと併せて仕事から帰ってからの部屋着にしています。

それと妻が使っていたヘアコンディショナーとフェイストリートメント、風呂場から退けていたんですが、最近、使い始めました。

エレクトーレフェイストリートメント、9870円也。高いです。

妻が自分で買ったんだから文句を言う筋合いはありませんね。

使わないともったいないです。

これで肌に潤いが与えられてみずみずしくハリのある肌を取り戻したいと思ってます。

「真由美、おまえの残したもん、有効活用してるからな。」