MAAMItan’s blog

2022年9月以降8月に永眠した妻の遺稿をアップロードし、その後は妻がこの世に生きた証を残したい思いで引き継いでいます。

去年の今日

7月に入るとどうしても去年の今頃のことを思い出します。毎年7月になるとずっと去年のことを思い出し続けるのでしょう。去年の今日7月11日、月曜日は妻が入院をした日です。去年1月、お腹が張って苦しいと言いだし、7日から入院しましたが腸閉塞を起こしているという診断でした。28日まで入院し、その間絶食と吸引で中のものを全部出しました。その後2月3日にも苦しいと言って夜中から吐いて、緑色の胆汁を吐いていて、朝から車で日赤の救急外来へ連れて行き、そのまま15日まで入院しました。そのときも腸閉塞を起こしていました。

その後、小康状態を保ち、日曜日にはとんかつ🍱弁当を食べることもあるぐらいの体調でしたが7月に入院する前は2週間、便が出なかったのでお腹がパンパンに張っていました。もっと早く気が付くか、言ってくれれば病院に連れていったのですが。今でも覚えているのは、救急外来に連れて行きましたがコロナに感染しているか検査をするのに1階のロビーの一角の幕を張った所でしばらく待たされました。感染していないことが判ると妻はベッドに載せられ処置室へと移動して行きました。その後、8月16日に退院するまで妻とは会うことはできませんでした。入院中は電話とショートメールのやり取りで連絡を取っていました。仕事が終わってからや休みの日に洗濯物の交換や妻が持ってきてほしいと言った物を届けに行っていました。今でもそうですが、病院に行っても病室には入れてもらえません。ナースセンターに渡して帰るだけでした。

そして7月15日、妻に荷物を届けに病院へ来た後で主治医から「妻の病状について説明したいので病院に来れる日はないか」との電話がありました。今までの経験上、こういう電話はいい話は100%ないので、非常に驚いたとともに目の前が真っ暗になりました。そして7月17日、日曜日、僕の61回目の誕生日に病院へ行くことにしました。妻の弟にも来るように伝えました。この後、父にこんな電話がかかってきたと電話しましたが、その時、悲しくてたまらくなり涙を流しながら病院の横の阪急オアシスの前で電話したのを覚えています。