MAAMItan’s blog

2022年9月以降8月に永眠した妻の遺稿をアップロードし、その後は妻がこの世に生きた証を残したい思いで引き継いでいます。

2013年から2015年にかけて

2012年11月の永観堂へ紅葉を見に行った頃、妻のお母さんがすい臓癌で余命が4か月と宣告され、それ以降は休日に遊びに行ってる状況ではなくなりました。2013年3月にお母さんが逝去されました。享年満69歳。その年の夏休みに妻と弟二人、妻の叔母で妻のお母さんの故郷の鹿児島へ行って鹿児島のお墓を大阪に持って帰る旅行に行きました。そして翌年1月後半に僕の母が体調を崩して社会保険京都病院に入院しました。3月の初めでしたか京都府立医大病院に転院しました。母が入院している間、何度が様子を見に病院へ行きましたが3月2日日曜日の夜、母に会ったのが最後になりました。そのとき、「お母さん」と呼び掛けて手を握ったときに母が目に涙をにじませていたのは忘れることができません。

そして3月5日、僕は仕事で彦根に行っていましたが帰りに病院に行くつもりでした。京都に向かう電車の中、時間は3時過ぎだったと思いますが弟から母が亡くなったと電話がありました。享年満79歳、2月に誕生日を迎えたばかりでした。

その翌年、2015年、妻のお父さんが逝去されました。享年満73歳。3年続けて僕たち夫婦の親が亡くなるという事態になりました。この頃は叔母二人の回忌法要もあって法事ばかりしていました。妻と母は誕生日と亡くなった日が2週間も変わりません。妻は誕生日の5日前でした。生前、坂本龍馬が誕生日と亡くなった日がが11月15日で同じだったことをテレビ番組で知ったとき妻は「すごいなあ」と言っていました。ネットで調べてみますとそれを生没同日というそうです。そういう言い方があるのを初めて知りました。著名人でもそういう人が結構いました。

 

去年の今頃の土日は二日とも大阪赤十字病院に行ってました。行っても会えるわけではなく洗濯物の入れ替えや届け物を午後7時までにナースセンターに渡しに行ってました。7月11日から入院して19,20日目ですがこの頃は順調に回復していると主治医からも聞いていました。