MAAMItan’s blog

2022年9月以降8月に永眠した妻の遺稿をアップロードし、その後は妻がこの世に生きた証を残したい思いで引き継いでいます。

妻と出かけたときの思い出

2010年7月17日、この日は僕の49歳の誕生日でした。1961年7月17日午後8時28分京都市中京区新町通三条上ル(鉾町の近くです)富田病院助産寮で生まれました。山鉾巡行神幸祭も終わり祭り自体はひと段落した時間に生まれた訳です。父の実家が河原町三条で割烹料理店をしていましてこの時間帯はお客さんも居る時間ですから電話で父から孫が生まれたことを聞いたと思います。初孫なのでとても可愛がってもらいました。

この年の山鉾巡行は土曜日で妻が巡行を見たことがなかったこともあり食事の予約もして京都へ行きました。

河原町三条を下がったマクドナルドの前あたりから見たと思います。妻は山鉾巡行を初めて見たこともあって夢中になって写真を撮りまくってました。ブログの写真は妻が撮りました。

夜は寺町二条東入るの「ブション」で食事をしました。このお店も妻と何度も行きました。京都では「老香港酒家」と並び多く行ったお店です。この頃はまだ知らなかったのですが二条通りは神幸祭のお神輿が通るルートでした。「ほいっとお、ほいっお」と掛け声をかけながら行列が店の前を進んでいきました。

僕も神幸祭を見たのは初めてでした。だから最初何なのか分かりませんでした。

去年の6月頃にも妻は7月17日が日曜日なので「京都に行かへん?」と言っていました。

しかし、腸閉塞で体調を崩し、7月11日から入院しました。そして7月17日の山鉾巡行は病院のテレビで見たと言ってました。今までは山鉾巡行の時期になると自分の誕生日が近いことを連想していましたが今後はその時期になるとそれだけではなく妻との祇園祭についての様々な出来事を思い出すことになるのでしょう。