MAAMItan’s blog

2022年9月以降8月に永眠した妻の遺稿をアップロードし、その後は妻がこの世に生きた証を残したい思いで引き継いでいます。

命について思うこと

ここ最近で去年ほど人の命について、人生について思いを巡らせたことはありませんでした。昨日は阪神淡路大震災から28年目の日でした。今日改めて命について思うことを書いてみたいと思いました。

 

自分が幼すぎて記憶の残っていない父の母を除いて身内として自分の祖父母、母、叔母二人、妻の父母、7人を見送ってきました。当然のことながら自分が子供の頃、若い頃は人が亡くなるということは悲しいけれども自分に降りかかってきた出来事という実感はあまり感じていませんでした。常に生活を共にしていなかったということもあるのでしょう。二人の叔母を亡くしたのが自分が40代の頃、この頃になって命には限りがあることを実感しました。

 

そして妻と結婚して5年ほど経った2012年の秋、妻のお母さんが膵臓がんだと分かり余命が4カ月、5カ月と宣告されました。その後翌年の3月にお母さんは亡くなられその翌年の3月に僕の母が亡くなりました。亡くなる2日前ほどに京都府医大の附属病院で母の手を握って「お母さん」と呼びかけたときに意識が朦朧としていた母が涙を流していたのを今でも思い出します。その翌年7月には妻のお父さんが亡くなりました。3年連続喪中となりました。母が亡くなった時は悲しく、大したことは何もしてあげられなかったことを後悔してしばらくは仕事にも身が入らない状態が続きました。この頃になると人は遅かれ早かれ死ぬということを実感し自分にもいつかそんな日が来ると考えるようになりました。

 

2020年の3月に上顎の小唾液腺に癌が見つかりました。最初にそれを言われたときにとても落ち込みました。まさか自分に癌が見つかるとは夢にも思いませんでした。もしPETで転移が見つかれば数年後に死ぬ可能性もあると思っていましたが幸いなことに転移はありませんでした。この時は死ぬことが他人事ではない身近なことに感じられ人生ははかないものだと思いました。

 

去年の7月17日の僕の誕生日に病院の医師から呼び出され妻の体の状態について説明を受けました。心臓は健康な人の4割ぐらいしか血液を送り出す力がなくなっており1年2年以内に亡くなる可能性もあると言われました。そして妻は延命治療はしないということにサインをしたと。これを聞いた時には目の前が真っ暗になり涙が溢れ出ました。なんでこんなことになったんだと、なんとか奇跡が起こってくれないかと。今での人生で一番辛い宣告でした。これを聞いて仕事は辞めてちょっとでも長く妻と一緒にいる時間を過ごしたいと思いました。

 

昨日BS朝日でウチ、断捨離しましたという番組を見ました。66歳の旦那さんを去年の8月、僕の妻と同じころに亡くされた62歳の奥さんの断捨離がテーマでした。ご夫婦には子供はいなくてうちと同じような境遇の方でした。その奥さんは旦那さんがいなくなったが部屋はいた頃のまんまで時が止まっていると、かといって物を全部捨ててしまうと旦那さんの歴史、存在がないものになってしまう気がするとか部屋に気配が残っていて部屋で椅子に座って音楽をきいていたなあとか思い出してしまうと言われていました。この言葉はすごく共感できました。亡くなったことは事実として頭では理解しても心の中では受け入れられない、これも今の僕と同じで同じような体験をした人は皆同じような気持ちになるのだと思いました。この番組を見て思ったのは愛する人を亡くして辛い悲しい思いをしたのは自分だけじゃないのだと映像を見ることによって実感しました。それと前を向いて歩みだすことも徐々にでもしたほうがいいかとも思いました。