MAAMItan’s blog

2022年9月以降8月に永眠した妻の遺稿をアップロードし、その後は妻がこの世に生きた証を残したい思いで引き継いでいます。

妻と出かけたときの思い出

妻は30歳過ぎ頃から洋画を学んでいました。10代の頃から絵が好きで展覧会には数多く通っていました。行った展覧会の半券が沢山残されています。近鉄文化サロンの絵画教室で奥野北雄先生と出会い、先生が絵画教室を辞められてからはご自宅のアトリエに通っていました。僕も妻と出会ってから直ぐに奥野先生を紹介してもらい、僕は絵は描きませんが妻と一緒に奥野先生のアトリエへ行っては雑談をしていました。2010年、この頃は月二回土曜日に妻は午後2時ごろから夜8時頃まで絵を書いていました。僕が車で妻を送ってその後僕は自由時間を過ごして8時頃にアトリエに行って妻を交えて三人で雑談をして10時頃に帰るそういう生活をしていました。6年ほど前からは妻は手が思うように動かせなくなり繊細な筆使いができなくなったので先生の所に行くのは月一回になり5年ほど前からは行っても絵を書くことはなく雑談を7時ごろまでして僕が6時ごろにそれに加わるといった感じでした。病気の進行とともにだんだん自由に手が動かせなくなってきて自分が一番やりたいことができなくなるのは妻にとって辛いことだったはずです。

写真は2010年10月23日、土曜日のアトリエでの写真です。

2021年6月21日。この日が僕たち夫婦が奥野先生のアトリエにお伺いした最後の日です。先生は体調を崩されてから絵画教室はまだ再開されていません。先生には妻が亡くなったことはまだ伝えていません。そのことを先生に伝えるべきなのか答えが出ません。25年以上付き合いのあった教え子が亡くなったことを知られたらどれだけショックを受けられ悲しまれるかを考えるとうかつに伝えるべきことではないのでしょう。