MAAMItan’s blog

2022年9月以降8月に永眠した妻の遺稿をアップロードし、その後は妻がこの世に生きた証を残したい思いで引き継いでいます。

去年の今日

去年の今日、妻の葬儀を執り行いました。最近多い家族葬です。喪主をされた方の多くが体験されたと思いますが亡くなった後、看護師さんが着替えと簡単な身支度、化粧をしてくれた後二時間以内には葬儀社を決めて葬儀場なり自宅なりに連れて帰るように病院から言われますがあの間の辛さは忘れることができません。

 

気持ちは呆然自失となっているのに現実的な対応をしなければならないのはきつかったです。一晩徹夜したので肉体的にも疲れていましたし。しかし眠くはなりませんでした。

 

直ちに葬儀社を決めて葬儀場に連れて帰ってもらい、葬儀の打ち合わせを始める、ふたり暮らしでしたから誰の手助けもありません。妻の両親も10年前、8年前に既に他界しています。全て自分一人で決めて手配しなければなりません。喪主になるのは初めてでした。

25日お通夜、26日葬儀。葬儀が終わり、火葬場へ行くのにタクシーに乗りました。ふとタクシーの運転手さんのネームプレートを見ると母の旧姓と同じでした。母の旧姓はよくある姓ではなく、かといって珍しいという程でもない、どちらかというとあまりない姓です。学校時代、働いてからも同じ姓の人は学年にも職場、取引先にもいませんでした。それがこのタイミングで一緒になるかと。僕には9年前に他界した母が葬儀に参列しにきたように感じられました。母と妻が付き合いのあった期間は6年半ぐらいで頻繁に機会があった訳ではありませんが仲はまずまずよかったと思います。息子三人でしたから母は身内に女性が増えたのを嬉しく思っていましたし、妻も母の日には花を送ったりしてくれましたから。

 

僕がその運転手さんに話しかけたところ、その人はかつて妻が勤務していた保育園の勤務医のことをよく知っていました。妻と勤務医は保育園の立ち上げ時から同じ職場で14年くらい働いて妻の会話にもよく名前のでてくる人でした。

このふたつは単なる偶然とは思えない不思議な出来事だったと今でも印象に残っています。