MAAMItan’s blog

2022年9月以降8月に永眠した妻の遺稿をアップロードし、その後は妻がこの世に生きた証を残したい思いで引き継いでいます。

徹子の部屋

徹子の部屋に今日榊原郁恵さんが出るというのをネットで見つけたので見ていました。

話の中で気になったのは渡辺徹さんが病院へ行く前に呂律が回らなくなっていたという話です。渡辺徹さんは妻と同様に感染症から敗血症を発症されたのですが呂律が回らなくなっていたのも妻と同じ症状でした。

 

昨年の8月20日土曜日、この日は妻の中心静脈栄養のサポートをしてもらう医院の先生が午後3時に来られました。この時に先生から「どんなテレビ番組を見ていますか?」と聞かれたときに妻は「旅行の番組とか」と言っていたのですがその話しぶりがおばあさんが話をしているようなしゃべり方になっていました。そのときにそれを聞いた先生は僕に特に何も言わなかったので気にしなかったのですが翌日になるとそれが更にひどくなり痰も吐くようになりました。パルスオキシメーターの値も90を切るようになっていました。それで僕も心配になり夜8時過ぎに先生にどうすればいいか電話で聞きました。すると中心静脈栄養の点滴のピッチを10時間から6時間にするよう言われました。それを実行するとパルスオキシメーターの値も93、4ぐらいを示すようになり一安心しました。しかし、夜中、8月22日の午前1時過ぎに妻が吐きだしました。物は食べていないので緑色の胆汁を吐きました。それで僕は点滴が速すぎだと思い点滴を止めました。そのとき妻はメールを送ろうとしていました。

妻は退院後にケアマネージャーと打ち合わせをしようとしていてそれを今日、月曜日にしようとしていたのです。嘔吐して、痰を吐いてしんどいはずなのにメールで連絡しようとしていたのです。意識も朦朧とした中、本文を入力する気力もなかったので今も写真のメールが妻の携帯に未送信のまま残っています。本当に義理堅いというかきちんとしているというか、このことを思い出すと今でも涙が出てきます。それと何故このときに救急車を呼ばなかったのか、朝まで様子を見てしまったのか、今日の榊原郁恵さんの話を聞いて呂律がおかしかった、パルスオキシメーターの値が90を切った日曜日に救急車を呼ばなかったのかということを思いました。結局は朝8時過ぎに訪問看護の看護師さんに来てもらってそれから救急車を呼んだのですが、もっと早く病院に連れて行けば感染症を治療できたかもしれない、命を救えたのではないかと思ってしまい悔いが残ります。妻は救急車に乗る前に僕に話をしました。しかし、何を言っているのか全く聞き取れない分からない状態でした。きっとケアマネさんに入院するから今日は会えませんということを伝えておいてくれということだったに違いありません。これが僕と妻との最後に会話になりました。