MAAMItan’s blog

2022年9月以降8月に永眠した妻の遺稿をアップロードし、その後は妻がこの世に生きた証を残したい思いで引き継いでいます。

やっぱり自宅が一番

都合があって日曜日から今日の朝まで京都の父親の家から仕事に行っていました。

家はまさに街中にあり、繁華街に行くのにも歩いて行ける便利な所にありますから仕事帰りにデパート地下に行って閉店時間が近くなってから値引きされる晩御飯用の惣菜や🍱を見て、今日は何を食べようかと考えながら見て回るのが楽しみでした。

今回、大学を卒業して以降、初めて親の家に寝泊まりしました。実に37年振り。親が今の家に住み始めて17年以上経ちますのでその間、妻と一緒に何度も行っていますが泊まることはありませんでした。そういえば大学を卒業後以降も含めて親の家で母親の作った食事を食べたこともありませんね、家族揃っての食事は全て外食でした。

今この時間は自分の家にいるわけですがやっぱりここが一番気持ちが落ち着きます。親の家に居ても何か落ち着きません。どこに何がおいてあるのかもいちいち父に聞かないとわかりませんし、そういったことも災いしてるのかもしれません。今の家で妻と一緒に暮らし始めてから15年以上経ちました。妻の姿が見えなくなっても家の中の普段使っていたものは妻が居た頃と何も変わりません、変えられません、変えたくない。最初、ここに住み始めた頃は茨木まで通勤していたので朝は早く出ないといけないし、帰りも遅くなるのでもやもやとした気持ちでいたこともありました。それは毎朝、玄関を出る前に妻とキスすることで打ち消されていたのですが。

去年の今頃は3月終わりに退院して、妻の体調も落ち着いていて、今の時間、夜9時頃はソファに座ってテレビを見ていたなあ、金曜日だからいつも中居正広金スマを見てたなあと妻の居てた頃の日常を思い出します。その頃はそれが幸せだとか何も思いませんでしたが今から思うと何気ない普通の生活を送れたその頃はすごく幸せでした。他愛もない雑談を出来た頃に戻りたい、一番大切な人を亡くし無味乾燥な味気ない毎日をこれからも過ごさないといけないと暗い方向に考えると気持ちが落ち込んでしまいます。

そんな時に唯一慰められるのは自分と同じく若くして配偶者を亡くした人のブログを読むことです。去年の今頃読んでも共感できなかったと思いますが今自分が同じ立場に立って読むと書いてあることのほぼすべてに共感できます。辛い思いをしているのは自分だけじゃない、そう思うことでしか自分の心を納得させられません。